2011-11-14

6.廃寮の危機を乗り越えて

学寮不要の文部省方針

 1971年の中央教育審議会答申で、文部省は学寮を「紛争の根源地」と断定、その教育的意義を否定した。これに基づいて多くの学寮で、水光熱費の徴収や入退寮権を大学当局が把握していった。大阪大学、岡山大学などでは、大学当局が反対する寮生を機動隊の力を借りて抑圧し、自治寮の廃寮化を進めていった。
 
京大内での学生運動の動き

 1972年に、同学会(全学自治会)が反民青系となる。これに伴い同学会は、世界革命を目指す観念的な学生運動ではなく、教育学園の課題と、地域の反公害や反差別の課題、底辺労働者の課題などを実践的に結び付けた運動を志向するようになった。
 同学会の最大の闘争課題は1972年から継続された経済学部の竹本助手の処分粉砕闘争であった。しかし1977年には大学評議会でこの処分が承認され、1969年から9年間続いた「京大の紛争状態」が終結する。
 これを機に大学当局は、寮の「正常化」に着手し始めた。

寮の「正常化」に向けた着手、そして在寮期限設定へ
 1978年沢田学部長は、1950年代から行われてきた確約団交体制を否定、さらに寮内の職員(炊フおよび守衛、事務員、掃除人)の今後の補充を行わないこととした。また1980年に翠川学生部長は、寮生が当局に対し個別に入寮届を提出することを強要、提出しない寮生を「不正規寮生」と規定した。

  1982年大学評議会は「吉田寮の在寮期限を昭和61年3月31日とする」という廃寮決定を行った。大学当局は、寮自治会と話し合いを続けることによる「正常化」をあきらめ、現自治会と縁を切って「正常化」する方針に転換したのである。すなわち「廃寮化=建て替え」である。

「在寮期限」に対する闘争

 しかしこの吉田寮の「在寮期限」は学内のコンセンサスが不十分なまま強引に決定されたものであったため、学生自治会などの猛烈な反対運動を呼び起こした。文学部、教養部、農学部、理学部で学部長団交が行われ、それぞれの学部長は学生部の独走に非難の意志を示した。

 学部長団交と並行して、1983年には5年ぶりに学生部長団交が実現した。しかし神野学生部長は強硬路線をとり、話し合いを一方的に打ち切って、水光熱費の要求書を京大の4つの寮に送付した。また1983年の会計検査院の来寮阻止行動に関して寮生8名が逮捕され、5名が起訴された。時計台と学生部棟への抗議行動が、建造物侵入に当たるというのが理由であった。寮自治会はこれらの対応に追われ、「在寮期限」撤回運動に十分に取り組めないまま膠着状態に陥った。

 こうしたなかでさらに寮運動の分化が起こってきた。熊野寮は開寮以来、吉田寮と共同歩調をとっていたが、二寮間に齟齬が生まれてきたのだ。しかし「在寮期限」到来を目前にした「寮生追い出し」という事態に、対立はありながらも多くの学生団体が廃寮反対の声を上げ、そのことが大きな力となった。

 1986年3月31日、吉田寮は「在寮期限」を迎えた。しかし大学当局は上記の学内状況を鑑みて、吉田寮を「在寮期限執行中」という扱いとし、140名の在寮生が継続して居住することを認めた。そのうえで食堂の廃止、入寮募集の停止などを行った。しかし吉田寮は自主入寮募集を続け、その後も百数十名の寮生数を維持した。

 1988年大学当局は一方的に吉田寮の西寮4棟(現在の薬学部構内に建っていたもの)を解体・撤去した。これをきっかけに学生部と吉田寮の話し合いが再開、河合学生部長は吉田寮西寮全体の撤去をもって「在寮期限の執行を終了すること」を提案した。吉田寮自治会は問題の長期化が新寮予算や現寮補修予算の障害になっていることを重視して、提案を受け入れた。こうして1989年に「在寮期限闘争」は終結したのである。

寮生枠の自主的な拡大

 「在寮期限」が設定されて以降、吉田寮は寮に関わる潜在的な当事者をより広く受け入れていくため、入寮対象者の枠を自主的に拡大していった。1985年に女性の学部生、1991年に院生・聴講生・医療短期大学部生、そして1994年には「京都大学学生との同居の切実な必要性が認められるもの」が対象になり、家族や介護者の入寮が可能になった。



`83年度入寮案内


 


`83年度入寮案内
`83年度入寮案内

89年に撤去された吉田寮西寮の写真。





 I will  ’85新入寮生歓迎パンフレット(1985年)






 I will  ’85新入寮生歓迎パンフレット(1985年)






吉田寮入寮パンフレット(1992年)



留学生用 吉田寮入寮案内(1993年)

                                                (おわり)

参考文献:京都大学新聞 「吉田寮物語」 
第2238号(1999年4月1日)、第2244号(1999年7月1日)、第2248号(1999年9月1日)                                第2256号(2000年1月16日)、第2244号(2000年7月1日)、第2313号(2003年2月16日)

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